奈良市議会 2022-12-15 12月15日-05号
こうしたペナルティーを課している政令は、昭和34年に公布され、63年も経ており、現下においては人口減少・少子化時代であるとともに、独り親家庭や障害児の支援、貧困対策と物価高騰対策等による子育て支援が急務となっております。
こうしたペナルティーを課している政令は、昭和34年に公布され、63年も経ており、現下においては人口減少・少子化時代であるとともに、独り親家庭や障害児の支援、貧困対策と物価高騰対策等による子育て支援が急務となっております。
都市計画道路箸尾駅前線は、昭和41年に都市計画決定され、現在まで未整備の状態が続いております。計画では、県道桜井田原本王寺線から北進し、箸尾駅の南側を曲がりながら通過し、県道大和高田斑鳩線へと接続する幅員16メートルの計画道路となっております。
武道が行える施設につきましては、橿原公苑が体育施設と文化施設を合わせた総合的な心身の修練道場として昭和15年に設置されました橿原道場を前身とします。そのような背景から、橿原公苑には武道の聖地にふさわしい施設が必要であると以前から各分野から切望されてまいりました。ですので、改めて要望していきたいと考えております。
次に、施設についてですけども、大和郡山市様が参加された場合、県北西部におけます給水人口が増加するというところを踏まえまして、緊急時でも給水拠点から迅速な給水、バックアップ、これがなされるように処理能力や立地地域、これを勘案しまして既に存続が決まっております本市の真弓浄水場に加えまして、大和郡山市の昭和浄水場、これを存続させるという浄水場の在り方の見直しによって大和郡山市の昭和浄水場、これを存続させてはどうかというものになります
広陵町が誕生して間もなくの昭和32年4月から給水が開始され、今年で65年になります。集落単位の簡易水道や井戸水での生活から上水道の普及が進み、健康で快適な生活が送れるようになりました。私も小学生の頃に上水道が引かれ、井戸水の生活から水道に変わってうれしく思ったことをいまだに覚えております。
また、高度経済成長期、昭和40年代から50年代にかけて埋設されました水道管が老朽化し、更新を迎える時期に来ております。それらの更新をこれまで以上に早く進める必要がございます。 これまでも本市の水道事業は経営改善などに取り組み、とりわけ、施設の統廃合を集中的に行い、施設の集約化に取り組んでまいりました。
118 ◯奥田吉伸教育こども部長 まず、隣接校選択制が導入された経緯ということでございますけれども、昭和の終わりから平成に入りまして住宅開発がどんどん進んでいって、児童・生徒数も非常に多くなったという背景、一時期1万2,000人を超えたというような時期がございました。
昭和の時代には考えられないようなこういう回答が出ていますけれども、教育長は総合教育会議に、市長もそうですけども、実際にどうこれを現場で活用するということを考えていらっしゃるのかお答えください。
本市の現清掃工場においては、昭和57年に1号炉、昭和60年に2号炉と3号炉がそれぞれ竣工し、その後、平成17年に公害問題発生に伴う公害調停合意条項が成立しました。それが起点となって、翌年の平成18年にクリーンセンター建設計画策定委員会、当時の名前はごみ焼却施設移転建設計画策定委員会が設置されました。
昭和56年に隣接の消防本部として消防相互応援協定というのを締結して、消防訓練などを通して災害時の相互応援体制というのを継続されていたと。こちらは連携協約というのを結んでられると。また、近郊では枚方寝屋川消防組合と交野市において、2015年に消防指令業務の共同運用をされていると。
内閣府のホームページによると、青少年センターの始まりは、昭和27年に当時の京都市警察本部に設置された少年補導所だとされています。それ以来、全国各地で青少年育成を目的として設置され、名称は、「青少年センター」のほかに、「少年補導センター」「青少年育成センター」「青少年指導センター」など、地域の実情や活動内容に応じて様々です。
一方、右側のほうが古いと言えば古いんですけども、配水池になっていまして、昭和63年の築造になっておりまして、この新設の時期に合わせて塗装のやり替えをやっております。
このペナルティーを課している国民健康保険の国庫負担金等の算定に関する政令は、昭和34年3月24日に公布され、63年も経ている政令が根拠となっている。当時の大卒初任給(公務員)は約1万円、高卒初任給(公務員)は約6,700円程度であり、世帯状況については専業主婦層が多くを占め、我が国において1億人突破前の爆発的に人口が伸びている時代に施行されている。
50 ◯岸田靖司上下水道部長 今、委員お尋ねのアセットマネジメント、今、私どもの工務課長の方からご説明したものが正しくアセットマネジメントのご説明をさせていただいておるんですけど、いわゆる水道施設、例えば管路で言いますと、生駒市の特徴としましては、住宅地が高度経済成長期、昭和50年代とかに非常に大規模な住宅地が生駒市の場合、数カ所できております。
この事業の意義、概略を簡単に述べますと、昭和35年3月10日、元明天皇の平城京遷都から1250年に当たる年であったことから平城遷都祭の記念事業を行うことになり、奈良の都が築かれた7代の天皇をたたえ、奈良市の発展を併せて祈念しながら、この事業を観光協会自主事業として60年間行ってまいりました。 議長にお許しをいただき、お手元に配付した資料が、当時開催された年の記録写真になります。
皆様にお配りしております資料、これが当時の市勢要覧、昭和53年10月発行、編集、奈良市役所市長公室広報公聴課に掲載されておりました。現代によみがえる朱雀大路復元構想図を皆様にお配りしております。
この農業研修センターにつきましては、昭和55年からの農業構造改善事業として、広瀬地区農地全域についてほ場整備が行われた際、地域の農業振興の拠点施設として整備されたもので、40年以上経過し、老朽化が進んでおります。また、この施設は広瀬区全域の公民館機能を果たす中心施設で、なくてはならないシンボル施設でもございます。
寺山霊苑につきましては、昭和44年に開設されており、駐車場やアクセス面に課題があるということを認識しております。納骨堂等の整備を行った際には、寺山霊苑の利用者数の増加が見込まれることも考えられ、そのためには今後どのような整備が必要であるのかということも併せて検討していかなければならないと考えております。
297 ◯山本英樹教育総務課長 あすか野小学校の昇降機は昭和56年に設置されておりますので、41年使っております。 298 ◯片山誠也委員長 福中委員。
ガスボンベやその後、リーダ式ケーシング付きの掘削機で除去しなければならなかった地中障害物というのは、昭和32年にこの水道局、市町村合併で始まったんですけれども、それ以前から簡易水道局があって、そこの施設が残っていて、昭和42年にそれらを解体して現建築物というか、先ほどから調査していた、既に建っていたものを建築してございます。